父との思い出はゲームから
今週のお題「ゲームの思い出」
スーパーファミコンがうちに来た。
4つ下の弟が生まれる前で、僕がかすかに覚えているのだから、あれは3歳頃のことだろう。
ベビーカーに乗せられてか、自分の足で歩いたかは定かではないが、父親と母親の3人で夜の商店街を抜けたゲーム屋に行ったのは、何となく覚えている。
うちに帰ると、さっそく父親が灰色のものを箱から取り出した。
それがいつゲーム機だと認識したのかはわからない。
その瞬間は未知の物体だった。
父親がテレビの画面を見ながら、両手に握ったリモコンみたいな中にある、丸いボタンや変な形のボタンを押している。
とりあえず最初は訳も分からず見ていた。
赤い帽子を被った髭を生やしたおじさんのキャラがピョンピョン飛んでいる。
たまにキノコのような物に当たると下に落ちていく。
その次には緑の帽子を被った同じようなおじさんが走り出して、またピョンピョン飛んでいく。
少し進むと緑の恐竜が卵から産まれた。
なんだかよくわからないが、面白そうだ。
父親に頼み込み、コントローラーと呼ばれたものを渡してもらう。
赤青黄緑のボタンと十字のボタンを押して、画面の中のマリオと呼ばれるおじさんを動かす。
すぐにカメの甲羅にぶつかった。
すごく悔しかった。
残念ながら、そこから先の記憶はない。
そらから、約27年経った。
今では、暇さえあればスマホゲームをやっている。
学生の時も、任天堂64、プレステから始まり一通りのゲームをやった。
ということは、あのカメの甲羅にぶつかった後もきっとゲームをやり続けたのだろう。
そして、父親もそのままやり続けたようだ。
僕が小学校、中学校、高校、大学と進学する間も父親は家にいるときはゲームをやっていた。
特に戦艦ものと野球が好きだった。
僕が小3で野球を始めた時、野球のゲームが欲しいと言ったら、買ってきてくれた。
正直僕が欲しいと思っていたのは、友達が持っていた野球ゲームだったのだが、父親が買ってきたのはそれではなかった。
でも特に指定していたわけでもないから、しょうがないな。っとそこは子供のように駄々をこねなかった。
たぶん買ってきてくれたことが嬉しかったのだ。
それからも僕と父親はゲームをやり続けた。
RPGもやったし、レース形やアクション系もやった。
特に僕はFFやメタルギアにもはまった。
ちなみに父親はドラクエ派だったようだ。
高2のときに、父親が脳梗塞にかかった。
身体の半分が麻痺してあまり動かなくなった。
リハビリをするために会社を休むことになった。
当時の僕は、特に深刻に考えてはなかったようだ。
まだ母方のおじいちゃんも元気だったし、どうにかなるものだと思っていた。
父親は少しずつ良くなり、一年半後には、なんとか自力で歩けるようになり、会社にも行けるようになった。
それからしばらくして、父親は会社にあまり行かなくなった。
脳梗塞にかかるまで、平日は二週間おきの昼勤と夜勤という不規則な仕事をしながら、家に帰ってきてはゲームをするか、本を読んでいるかだった。
それが会社には行かなくなったので、家の中でゲームをするか、本を読むだけになった。
そんな生活が何年か続き、僕は大学を卒業し、就職が決まり家を出ることになった。
社会人になって半年後、父親と母親が離婚した。
母親と弟が家を出て、父親は一人になった。
程なくして、ローンを払えなくなった実家は強制退去となり、父親も近くのアパートに移った。
会社に行けなくなった父親は、新しく警備の仕事に就いていた。
前のザ・サラリーマンという仕事からは全然変わったが、意外にも少し楽しいらしい。
周りの同僚がいい人たちらしかった。
仕事が忙しいことを理由に、父親とは年に数回会うか会わないかだった。